週刊ダイヤモンドの2019年6月22日号にて、
『最新版倒産危険度ランキング』というものが発表されました。
倒産危険度ランキングは6年ぶりに復活させたもので、
上場企業3655社の中から倒産危険度が高い企業をピックアップし、
ランキング形式で紹介しています。
この不名誉なランキングで1位を獲得してしまったのが、『小僧寿し』です。
今回はなぜ小僧寿しの業績が悪化し、
倒産危険度ランキングで1位を獲得してしまったのか考察していきます。
小僧寿しのこれまでの業績
株式会社小僧寿しは1964年に「スーパー寿司・鮨桝」として創業し、
その後1973年に株式会社小僧寿し本部が設立されました。
フランチャイズを導入してからはすぐに全国展開がなされ、
1979年の時点で年商531億円に到達し、
当時の外食産業でトップの売上を誇る企業となったのです。
1980年代に入ると直営店やフランチャイズ加盟店が2000店舗以上にもなり、
1991年にはチェーン店全体の売上が1000億円以上になりました。
しかし、2000年代に入ってから徐々にスーパーなどでも寿司が販売されるようになったり、
スシローやかっぱ寿司などの回転寿司チェーン店との競合が激化していきます。
また、同じく持ち帰り寿司を中心に取り扱う同業他社は
駅前などの人通りが多いところに店舗を立地していたのですが、
小僧寿しでは住宅街への立地にこだわってしまったことで利用客が減少してしまい、
売上低下につながってしまったのです。
赤字からなかなか抜け出せず、
2010年から9年連続で赤字決算、2018年には債務超過に陥ってしまいました。
木村育生氏が社長を務めていた時代はどうだったか?
小僧寿しでは業績が悪化し始めた頃から
吸収合併や資本業務提携、連結子会社化などを繰り返していました。
外食チェーンでお馴染みのすかいらーくとも
一時期資本業務提携を組み、連結子会社化していましたが、
結局資本業務提携を解消しています。
その後、当時木村育生氏が社長を務めていた
イコールパートナーズ株式会社が株式を買い取り、
連結子会社化され、木村育生氏が小僧寿しの社長に任命されたのです。
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【過去の噂】木村育生社長が小僧寿しから株式会社クロスチェックに移ったワケ
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業績が悪化していた小僧寿しを何とか立て直しを図るために、
木村育生氏は様々な取り組みを開始しました。
例えばこれまでチラシの配布に使っていた広告宣伝費の一部を
テレビCMに回し認知度を向上させたり、
それまでなかった新しい業態の開発や展開地域の拡大、
アライアンス戦略の強化など、あらゆる戦略を実践していったのです。
様々な取り組みを実施していった結果、
2012年12月期の総資産が前年同期比に比べて増加しました。
改革を推し進め、少しずつではありますが着実に成果を上げてきた木村育生氏でしたが、
社長就任から1年で辞任する運びとなりました。
競合にあたる回転寿司チェーン店に差を付けられる
小僧寿しは業績悪化が続いている中、
競合にあたる回転寿司チェーン店はどんどん業績を伸ばし、
今や寿司を身近に感じられるのは持ち帰りではなく、
回転寿司というイメージになってきました。
回転寿司チェーン店の中でもトップクラスの業績を誇るスシローを見てみると、
2018年9月期は売上高174,883百万円、営業利益は11,718百万円、経常利益は11,508百万円で、
最終利益は7,991百万円となっています。
2019年9月期予想でも売上高は192,521百万円に増加する見通しを立てていました。
競合にあたる回転寿司チェーン店は年々業績が増加しているのに対し、
小僧寿しはどんどん差を付けられてしまっているのです。
もし、木村育生氏が1年という短い期間ではなく、
数年に渡って経営戦略を進めていたら、
今の小僧寿しは倒産危険度ランキングで1位を取得しないまでに
業績が改善されていたかもしれません。
過ぎたことは仕方ありませんが、
今後小僧寿しがどこまで回転寿司チェーン店に食らいつき、
巻き返すことができるのか、注目してみましょう。