日本大学アメリカンフットボール部の井ノ口忠男氏といえば、いくつもの輝かしい記録を残したトッププレイヤーでした。
指導者として日大アメフト部のコーチを務めてからも多くの実績を残しています。
しかし、井ノ口忠男氏が選手として活躍した際はどのようなポジションで、そのようなプレーをしていたのでしょうか?
今回は、数々の記録や実績を残した井ノ口忠男氏のポジションやプレースタイルについてご紹介しましょう。
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アメフトとはどんなスポーツなのか?
井ノ口忠男氏を語るうえで欠かせないのが、アメリカンフットボールというスポーツについてです。
名前の由来にもなっている通り、アメリカで生まれたアメフトは本国では国民的スポーツとして大人気ですが、そのほかの国ではマイナースポーツの部類に入ることが多いスポーツです。
日本でも野球やサッカーほどの人気はなく、ルールもよくわからないという人も少なくないでしょう。
基本的なルールとしては11人対11人で行い、防具を着用して楕円形のボールをどれだけ得点ゾーンに入れられたか、を競うスポーツです。
15分間のクォーター制で、第4クォーターまでありますが、途中でハーフタイムを挟むため試合時間は2時間以上かかります。
攻撃と守備に分かれ行うプレースタイルは野球と似ていますが、3アウトで攻守がチェンジする野球と違ってアメフトは4回の攻撃で攻守が交代するのも大きな特徴です。
また、得点の入り方にも大きな特徴があります。
野球では塁を進んだランナーがホームに戻る(ホームイン)ことで得点が入りますが、アメフトの場合はフィールドの端にあるエンドゾーンにボールが入れば得点となり、「タッチダウン」と呼びます。
タッチダウンでは6得点入ります。
ほんの一瞬だけでもボールがエンドゾーンに入ればタッチダウンと認められる点も、野球やサッカーとは性質の違うスポーツだと理解できます。
井ノ口忠男氏のポジションとは?
現役時代には、チームのキャプテンを務めていたこともあった井ノ口忠男氏の守備のポジションはラインバッカーやセイフティという、いわゆる守備の要でした。
・ラインバッカーとは
ラインバッカーはリーダー的な役割を担う守備の司令塔です。
守備のフォーメーションの指示を出したり、相手チームのパスを阻むパスカバーや、相手チームの陣地を後退させ大きなロスを狙うようなタックルをするなど、守備でありながら攻めのプレーを任される重要なポジションです。
そのため、ラインバッカ―には必然的にすべての攻撃ポジションと勝負することが求められます。
当たり強さや足の速さに加え、瞬時の判断力やフォーメーションを組み立てるために試合を先読みする洞察力なども必要になります。
・セイフティとは
セイフティとは守備の一番深い場所に位置します。
ここでボールを止められないと相手チームのタッチダウンを許してしまうため、最後の砦として非常に重要なポジションです。
絶対に自分を抜かせないという強い精神力と経験や直感が求められるため、熟練した知見がなければ活躍できません。
井ノ口忠男氏はセイフティでキャプテンを務めていたこともあるそうで、チームの精神的支えであったことがうかがえます。
日大アメフト部で数々の実績を重ねる
強豪として知られる日本大学のアメフト部に所属していた井ノ口忠男氏は、“日大アメフトの黄金期”と呼ばれる時期に主力選手として貢献しています。
ショットガンを彷彿させるスピードでレシーバーが飛び出し、パスルートを確保するという、今では日大アメフト部の代名詞ともなったショットガンオフェンスが生み出されたのもこの時期で、井ノ口忠男氏を止めることを目標にしている選手もいたそうです。
井ノ口忠男氏は3年生だった1978年に、全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦の「甲子園ボウル」に出場し、ラインバッカーとして最優秀守備選手賞を受賞します。
守備の司令塔ともいわれるラインバッカーでの受賞は、本物の実力と認められたといっても過言ではありません。
それだけではなく、強豪校としてその座をゆるぎないものにしていた日大アメフト部は、6つある賞のうち実に5つを受賞し強さを見せつけたのです。
甲子園ボウルで受賞できるのは、たゆまない努力を積み重ねた選手に限られており、井ノ口忠男氏がハイレベルな環境で真摯にアメフトに打ち込んできたことがうかがえます。
高校時代からアメフト部で活躍していた
井ノ口忠男氏とアメフトとの出会いは高校時代に遡ります。
井ノ口忠男氏は、強豪アメフト部があることで有名な大阪府茨木市にある迫手門学院高等学校出身です。
全国高等学校アメリカンフットボール選手権に出場経験のあるアメフト部に所属し、高校時代の井ノ口忠男氏はアメフトに明け暮れる日々を送っていました。
高校卒業後に甲子園ボウルに出場することになる井ノ口忠男氏ですが、高校時代からの努力が実った結果だったのです。
まとめ
今回は、数々の記録や実績を残した井ノ口忠男氏のポジションやプレースタイルについてご紹介しました。
強豪校の日大アメフト部で活躍できる選手はほんの一握りです。
高校時代から真摯にアメフトに打ち込んだ井ノ口忠男氏は努力を惜しまない、真のトッププレーヤーだったといえるでしょう。